原田和典の「すみません、Jazzなんですけど…」 第14回

~今月の一枚~

Original Dixieland Jazz Band

Original Dixieland Jazz Band
『1917-36』

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 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 いきなりですが、ここでクイズです。世界最初のジャズ・レコードを吹き込んだのは誰でしょう? 

 昭和期までに出た大抵のジャズ歴史本には、こう書いてあると思います。“1917年2月26日、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(ODJB)が「リヴァリー・ステイブル・ブルース」と「ディキシー・ジャズ・バンド・ワン・ステップ」を録音した。この2曲をカップリングした同年5月発売の78回転レコードこそが、史上最初のジャズ作品である”。

 何をもってジャズと定義するのかは人それぞれでしょうが、ぼくはかねがね、この説はマユツバものだと思っていました。そして、自分が編集長を務めていたジャズ雑誌で、ジャズの全歴史を振り返る特集を計5巻にわたって行なったとき、その疑念が間違いではないと確信しました。当時の地球は“ミレニアム”を控えており(つまり、もう20年も前の話です)、ジャズ界も1999年のデューク・エリントン生誕100年、2001年のルイ・アームストロング生誕100年を控えて一種のレトロスぺクションに湧き、この豊かな音楽が持つ歴史を丸ごと振り返ってみようという動きが世界的に起こっていて、ぼくも何度かの海外取材でその波をひしひしと感じていました。しかし日本のメジャーなジャズ雑誌はどこもそれをしないだろうということも、かなり鮮明に見えてしまいました。手っ取り早く広告がとれて、さほど編集者の知見や見識が必要とされない記事で誌面を埋めていた方がよほど楽なのだ、ということは当時だって、それなりに心の中ではわかっていたつもりです。が、自分を支配したのは、オレはそれはやらねえ、そんな場所に甘んじてたまるか、という気持ちでした。ぼくは16年間、ジャズ雑誌で修業しました。最も骨が折れ(今は亡き重鎮批評家諸氏の方々の手書き原稿を、何度、受け取りに行ったことか)、為になった仕事のひとつが、このジャズ史シリーズです。

 「アーリー・ジャズ(初期のジャズ)特集」では、CD化された作品を計200点、紹介しましたが、まあ、1916年以前のレコーディングがあるわあるわ。タイムレスというレーベルから出た“ラグタイム・トゥ・ジャズ”というシリーズは、1912年までさかのぼった内容……ということは今から百数年前の吹き込みもたっぷり入っているのです。これが揃って、ぼくの耳にはジャズとしか聴こえない。にもかかわらず、なぜODJBがジャズ・レコード第1号扱いされているのか? 

 折を見て調べましたが、確たる答えは今のところ見つかっていません。ただ事実としてあるのは、ODJB以前に、“ジャズ”(当初のスペルはJazzではなくJass)という音楽用語を含むバンドのレコードが一枚も発売されていなかった、ということだけです。つまり「だからこれを史上初のジャズ・レコードにしてしまおうや、そうすれば丸く収まるでしょ」というわけなのかもしれません。それ以前の時期にゴキゲンなナンバーをレコーディングしているクラリネット奏者ウィルバー・スウェットマン(彼のバンドでは、若きデューク・エリントンがピアノを弾いていました)のレコードにも、ザ・ヴァーサタイル・フォーのレコードにも、“ジャズ”という言葉は記載されていないのですから。

 ODJBは1916年にシカゴで結成されたとのことです。翌17年1月からニューヨークで仕事を始め、そこを運よくレコード会社に認められました。NYに来て早々にコロンビア・レコードからオーディションの誘いを受けます。しかしこの時の録音は現存していない、というのが定説です。2月に入ってビクター・レコードに吹き込んだのが前述の2曲、さらに5月に入るとコロンビアに2曲を吹き込みます。当時のコロンビアとビクターと言えば、アメリカのレコード業界を代表する2大メジャー・カンパニーです。ライバル同士が、同じバンドに触手を伸ばしていた。その事実からも、ODJBがいかにセンセーショナルな存在だったか、ということがわかります。17年当時のメンバー構成はニック・ラロッカ(コルネット)、エディ・エドワーズ(トロンボーン)、ラリー・シールズ(クラリネット)、ヘンリー・ラガス(ピアノ)、トニー・スパーバロ(ドラムス)。ニックとトニーはイタリア系アメリカ人、ラリーはアイルランド系アメリカ人です。当コーナーの担当編集者であるAさんは「レコード会社は、なぜ黒人(アフリカ系アメリカ人)ではなく、ODJBを選んだのでしょうか?」と、ぼくに質問しましたが、コロムビアもビクターも大会社であり、レコードを聴いているだけでは顔だちも皮膚の色も見えるわけないとはいえ、より多くのひと(=アメリカの一般大衆)に売ることを考えた末の結論でもあるのでしょう。もっとも、それを実証するには、1917年当時、果たしてアフリカ系アメリカ人、および非アフリカ系アメリカ人の家庭に、どのくらいの割合でレコード再生機(蓄音機)が置かれていたのかまで調査し、対比させる必要があるかもしれませんが……。

 この配信音源には1917年から36年に至るODJBの歩みが記録されています。「タイガー・ラグ」、「クラリネット・マーマレード」、「セント・ルイス・ブルース」などなど、いずれも吹き込み当時は作られて間もない新曲だった、といっても過言ではありません。ODJBがこうしたナンバーを盤に刻み、それを世界に支店を持つ大レコード会社から続々とリリースしたことで、ジャズの輪は確実に広がっていきました。その功績は絶大というしかありません。皆さんの部屋にもぜひ、“大正6年のジャズ”を響かせてください!

 


  

■執筆者プロフィール

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原田和典( はらだ・かずのり)

ジャズ誌編集長を経て、現在は音楽、映画、演芸など様々なエンタテインメントに関する話題やインタビューを新聞、雑誌、CDライナーノーツ、ウェブ他に執筆。ライナーノーツへの寄稿は1000点を超える。著書は『世界最高のジャズ』『清志郎を聴こうぜ!』『猫ジャケ』他多数、共著に『アイドル楽曲ディスクガイド』『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』等。ミュージック・ペンクラブ(旧・音楽執筆者協議会)実行委員。ブログ(http://kazzharada.exblog.jp/)に近況を掲載。Twitterアカウントは@KazzHarada